そして帰国、開店に至ります。開店に至るまでは苦難の連続でしたが、多くの方々に助けられ現在の当店があります。いくら感謝してもし切れません。


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俺がラーメン屋を始めた訳
第四章〜開店準備編 苦難、そして感謝〜

第35話「開店準備の奮闘記」

オーストラリアでの夢の様な生活に終止符をうち.
これからは.厳しい現実が待ち構えているのでありました。??

さぁ〜これからは.
なんでもかんでも全部一人でやらなければならない。

店舗探しに消防法の確認.
保健所へ提出する書類作成.
業務用食材の仕入先・・
厨房機器.金融機関との交渉etcなどなど
全般にわたりすべて一人で同時進行しなければならなかった。

!!!!これからが大変なんですねぇ〜まだまだ続きます。




第36話「店舗探しと同時進行」

熊本市内にある.有名店と言われるラーメン屋さんを
食べまわると同時にラーメン屋を出せる物件探し・・・

だが.わたし自身がこの物件は良いなと思う物件の近くには.
すでにラーメン屋さんが商売を営んでいた・
(要するにみんな考えることは一緒ってことかな)

そんなこんなで.
やむなく自宅の倉庫を改造してラーメン屋の
開業に至った訳です。

しかし.今考えてみれば・・・
裏通りと言う立地に一抹の不安が無かったか??
と尋ねられれば.やっぱりおお有りでした。(笑)

だけど.それが幸か不幸か?分かりませんが


もし.テナントを借りて開業に至ったとしても.
家賃等のコスト、他・・・
通勤などの目に見えない重圧に
ひょっとして耐えられたであろうか.
ここのところは非常に疑問が残るてんでも有ります

・・・だけど.
その重圧には耐えられなかったのではないか
と考えられる今日この頃であります。
^^;;ちと寂しい

あとは.その時食べ廻ったラーメン屋さんの感想はと言うと
いずれのお店も美味しくて特徴にとんだお店ばかりで.
もしそのお店の味を出せたとしても.
所詮猿まね・・
やはり自分の味を出すしか道は無い
と痛感させられたのでありました。




第37話「我流ラーメンのルーツ 〜TEN-SUN編〜」


うちのラーメンのルーツはオーストラリアTEN-SUNが発祥だと
思われる方がほとんどだと思いますが???

実を申しますと、わたくしTEN-SUNでは
一度もラーメンを作ったことが有りませんでした.

とっ申しますのも.
わたしがオーストラリアTEN-SUNに行く前から
ラーメンは自分の手で作ってみせる
ってつよぉ〜〜い決心があったからです・・・
(今考えてみると.なんと無謀なことかと.
ただただ飽きれかえるばかりです)

しかし.その無謀なくらいの意気込みがないと.
何の商売をやっても.うまくいかなかったんじゃないかと??
今更ながら思う事もしばしばです

そこで.前文中にも少し申し上げましたけれど^^;;

ラーメン屋の修行とは書いた覚えはありますが・・
ラーメンの修行とは書かなかった由縁でもあります。

だけど.TEN-SUNにいた1年と7ヶ月
色んな面において.わたくしが当店を開業してからと言うもの
さまざまな場面において.役に立っていることは言うまでも有りません。
オーストラリアTEN-SUNの岡社長
本当に有難うございました。




第38話「我流ラーメンのルーツ 〜ひろせ食堂編〜」

う〜〜ん
ラーメンは自分で作ってみせる
とは言ったものの

どれくらいの鍋が必要で
その鍋にどれくらいの骨を入れていいのやら
皆目検討がつかず・・汗汗

はたまた.どこの部分の骨を使ってよいのかも分からず
ほとほと困りはてたあげく・・
やっとの思い出たどり着いたのが一軒の食堂でありました。

ただ.あとで分かったことですが??
ただの食堂ではありませんでした。

その食堂とは久留米市内で超繁盛店のひろせ食堂・・
よくTVに紹介されている ひ・ろ・せ・食堂でありました。

そして.お目当てのひろせ食堂の門をたたくのでありました。

・・んで.ひろせ食堂のおやっさんに色々と聞き.
どうにかこうにかラーメンの骨格らしい・・
おおまかなことは分かったような??
分からないような^^;;・・
ただ.仕事中に聞いたので聞けた時間は2〜3分でした。

だけど.貴重なお話有難うございました。

ひろせ食堂のおやっさん
いつまでも元気で頑張ってくだされぇ〜〜




第39話「我流ラーメンのルーツ 〜○○○○ラーメン編〜」

こちらのラーメン店は今でも熊本市内でラーメン店を営んで
おられますので.あえて店名は伏せてお話いたします。

帰国間もない.ある挽のこと私は叔父に連れられて.
夜の繁華街へと繰り出した時の一場面でありますが??

叔父の行きつけのラーメン店の店長に
わたしのことを紹介してもらいビールを飲みながらの雑談.

雑談の途中で叔父から言われるまま.千円.千円.千円そして
カウンター内にいる店員さに五千円をチップとして渡して・・

少しラーメン作りのことを教えてもらうことにした。
しかし.カウンター内の通称○ちゃんが
なかなか首を縦に振ろうとはせず.ただただだんまり

それじゃ〜ラーメンのスープを注ぐ前の丼の中に入っている
(原液??元だれ)をちょっとなめさせてと言うと?これまた
首を縦には振らずだんまり

しかし.これからが粋なはからいと申しましょうか??

その○ちゃん
そんなになめたけりゃぁ〜
俺の見ていない時になめろと言わんばかりに後ろ向きになり

事無く.元だれをなめさせてくれたのでした。
(その際になめた元だれは
わたし自身に作るラーメンだった事は
言うまでも有りません)

だけど.一杯のラーメンを食べるのに.
この店で使ったお金が一万数千円.
この一万数千円が高いか安いかは.
さだかではない・・・
                        (笑)




第39話「おまけ・・店名の由来」

もう.ここまで書けば店名の由来など
お分かりいただいたかと思いますが、

実を申しますと、わたしも色々と考えてはみましたが・・・
(豚珍軒.近見亭など他色々)
ただ良い名前がみつからず??

あまり考えてもしょうがないし
TEN-SUNの名前を使わせてもらうようお願いしたところ.
TEN-SUNの名に恥じないようにするのならいいよ
とのことだった。

だけどTEN-SUNをこのままの文字で日本に持って帰っても
受け入れられないし.そこで考えた挙句??

何気なく岡さんと酒を飲んでる席で天山=TEN-SUN
天山・・テンサンと読んで(呼んで)もらおうとなったのでした。
しかし.たいした意味もなく酒の席で店名を考えるとは
実に俺らしい発想であった。(笑)




第40話「金策・・無一文からの出発」

オーストラリア在住中に、
銀行預金のすべてを使い果たしたわたしは、
日本に帰ってきて店を出す為の金策で右往左往

さて、どうやって金策をして良いものなのか考えた挙句
商工会議所に相談してみた、
すると担当者いわく商工会議所は
今現在・・すでに商売をしている人が対象なので
相談には応じられないとのことだった。

そこで、次に訪れたのが民商・・・
ここは庶民に密着したサービスで知られているところ。
しかし、ここでも相手にしてはもらえなかった。

そのあとと言うもの、
いろんなところへ出向き相談はしてみたが
結果はいずこも一緒。

そこで・・・
最後にたどり着いたのが国民金融公庫でした。続く




第40話「金策・・最後の金策・一発勝負」

「国民金融公庫へ借金の申し込み」

金融公庫という所は、・・・
当たり前の事ですが、
ひとそろいの書類と保証人さえいれば
どうにかお金は貸してくれるところなのですが、

わたしの場合は、そのひとそろいの書類さえも
満足にそろえられる状態ではなく、

特に前年の収入及び自己資金の欄になると、
ほとほと困りはててしまうという有様

そこで、わたしは一発勝負の見せ金に掛けた訳です。

     !!!その内容とはこれいかに(笑)!!!

一通りの書類は揃えたものの、
どうしても揃える事が出来なかった自己資金・・
ただ、幸いにもサラリーマン時代に作っておいた銀行カード、
それも借り入れ枠が200万円迄である。
そして、そのカードを一時利用して
利用限度枠いっぱいいっぱい借り入れを行い
その金を熊本の銀行口座へ移し変え、
その銀行通帳を担当者に見せるというあらわざ

そして、この計画は上手くいき担当者の方にも納得してもらい
金融公庫からの融資も実行されました。

だけど、はらはらドキドキの面接であった。^^;;




第41話「四面楚歌」

とりあえず、金策めんではどうにかメドのついた私は、
次に業務食材の仕入れ先を確保すべく
いろんな会社へ出向いては、
見積もりのお願いに翻ろうされていました・・

そこで、せっかく取引するのであれば
近場の業者と取引する方が良いのではないかと思い、
同じ町内に有るI田産業、
それと車で4〜5分のTホー・Hディーに目を付け
支払いは現金取引を前提とした、
見積書の提出をお願いに廻ったのでした。

ところが、5日経っても10日経っても一向に見積書が届く様子もなく
しびれを切らした私は催促の電話を入れたのですが??

先方からは今忙しいからとか?
言い訳をするばかりか、
挙句の果ては担当営業マンより、
もううちには電話はしてこないで
との返事が帰ってきたのです。
(こんな事ってあるぅ〜〜)

しかし、その時に感じた事は
熊本の商売ってこんなものなのかぁ〜・・
客の方から現金で品物を買わせて下さい
って言ってるのに対して

あそこの担当営業マンときたら、もう電話してこないでなどの
返事を・・よく言えたもんだ。

だけどこんな商売が熊本では通用するのかと
落胆するばかりでした。

だけど、今思うとあの営業マンのあの態度・・

そんなことが有ったからこそ、
こんにちの私があるのかも知れませんねぇ〜〜




第42話「捨てる神あれば拾う神あり」

今、忙しいからだとか、
もう二度と電話してこないでだとか言われ・・・

誰も相手にしてくれず困っていたその時

ある方の紹介で
業務問屋の西原商会さんと
肉屋さんで当時吉永畜産さん(現肉のクック)
を紹介して頂いたのでありました。

だけど、地獄に仏とは良く言ったものですねぇ〜〜

そこで、当時お世話になった会社
(勿論今もお世話になっているのですが)
をお礼の意味も込めて紹介させていただきます。

尚、詳細につきましては後述いたしますので
宜しくお願いもうしあげます。

   ・・・まずはその当時お世話になった会社紹介・・・




第43話「当時お世話になった会社」

詳細はあとで述べるとして
その当時はワラおもすがる思いでお願いした会社。

!!!!!!!取引してくださった会社紹介!!!!!!!!

株式会社西原商会九州・・・支店長様

吉永畜産・現・株式会社肉のクック・・・吉田課長様

株式会社ぶんてん・・柳原部長様・・現取締役社長柳原様

有限会社油屋本・・上野営業部長様

有限会社富貴製麺所・・女将の村上様

株式会社田上金物・・田上社長様


あの当時は、どこのうまの骨とも分からない
当店とお取引くださいまして本当に有難う御座いました、
此れからも末永くお付き合いの程
宜しくお願い申し上げます。




第44話「渡りに船・地獄に仏」

だぁ〜〜れも相手にしてくれなくて途方に暮れてたその時
幸運にも西原商会さんと肉のクックさんを紹介して頂いたのでした。

そこで早速、西原商会さんに出向き
これまでの事情を説明したところ快く引き受けてくださり・・

翌日には担当の営業マン(当時の担当は米田氏)が訪れ
見積書も頂どうにか業務筋の仕入先が確保でき
ホッと胸をなでおろすことができたのでした。

同日
肉のクックさんにもお邪魔しこれまでの経緯を説明したところ
ここでも快く引き受けてくれてくださり、

なおかつ、鍋に入れる骨の分量なんかも
事細かに教えていただいたのでした・・
その時にお世話になったのが吉田課長さん

吉田課長さんと西原商会さんに感謝かんしゃぁ〜(笑)

ですけど、あの時は本当に困り果てていたところを助けて頂き
有難う御座いました。



第45話「食品メーカーに電話する」

まだ店のみの字もない頃、
わたしは個人的に好きだった
ビールメーカーのアサヒビールさんへ電話を入れて
今までの経緯と今後の事で尋ねてみることにした。

・・そして、出来ればうちの店でも
サーバーからお客さんに生ビールを出したい旨を伝えると

先方の担当者いわく
生ビールと言うものは非常にデリケートな
飲み物で鮮度が一番だとか??

一日に売れる量がビール樽一本くらい出るのであれば
サーバーを入れる価値が有るけれど、
もしそうで無ければ瓶ビールをお勧めします・・
との事だった

しかしビールのことをなにも知らない私にとって
ただサーバーから出せば旨いビールが飲めるものだ
と信じきっていたのが間違いだった・・トホッ

そして、のちに分かったことだが、
あまり生ビールが出そうもない店で飲むビールがあまり旨くなかったのも、
そのせいだったのかもしれない。

でっ結局のところ、
流通団地に有る熊本で一番大きな酒屋のぶんてんさん
に酒類は総ておまかせすることとなったのです

「それと、おまけの話」
当時まだ店のみの字も無かった頃
営業で来てくださったのが柳原部長・・
その後あれから8年、今では社長になっていらっしゃるとは・・
さっすがやり手は違う。




第46話「SB食品さんへも電話」

これまた,SB食品さんにもアサヒビールさんと同様
店のみの字も無い時に問い合わせの電話を入れてみた

ところが、さすが食品メーカーの大手だけあって
応対の良い事よいこと・・

そして、電話に出られた方に
今までの経緯とこれからの業務展開をお話して
電話を切ったように記憶している。

ところが、一週間もしないうちに、
先方の営業マンの方が現れ

数々の商品サンプル及びカレー創りに必要な資料等々頂き
なおかつ、うちのお店が立ち上がるまで
親切丁寧にご指導をしていただいたのです。

しかし、うちの店みたいな吹けば飛ぶような店に対して
ここまでしていただけるとは・・
本当にSB食品さんに感謝カンシャァ〜・・・
だけどその時は本当に頭の下がる思いだったのを
いまだに忘れる事が出来ません。




第47話「でっ・・!!」

でっ結局のところ、
SBさんの商品とか
その他諸々の商品は熊本でも良く知られている
油屋本店さんから仕入れることとなりました、
あぁ〜めでたしめでたし・・
その時の担当は上野部長さんでした。

ちなみに、SB食品さんの担当営業はM田部長さんでした。
いやぁ〜〜M田部長さんにはほんとにお世話になったなぁ〜




第48話「最高級タマゴ麺」

う〜〜ん 今思い出せば何の根拠も無く、
まして我流で創るラーメン
本当に旨いラーメンが出来るか心配のあまり、
ラーメンの麺だけでも旨い麺であって欲しい
との想いだけで麺探しに翻弄していた。

するとそこでようやくたどり着いたのが
富喜製麺所の麺だったのです、

そして、先方の女将さんと2時間程の打ち合わせで
やっと出た結論が最高級タマゴ麺だったのです。

その様な最高級タマゴ麺を供給して下さる、
富喜製麺所の女将さんに感謝かんしゃぁ〜〜

・・・しかし、突然お邪魔したのにもかかわらず
嫌な顔ひとつせずに応対してくださいまして、
重ねて御礼申し上げます。




第49話「厨房機器 田上金物」

今までの経緯を総て説明し
此れからラーメン店を開業する旨を話す。

・・すると、開口一番・・
田上社長>そらぁ〜あんま金は掛けん方が良か・・!!
ラーメンならば、お湯の沸いて、
スープの取れさえすれば良かっですばい。

・・とっアドバイスをもらう

俺>・・う〜〜んさすが田上社長読みが鋭い、
実は、わたしもそれと同じことを考えていたのでした。
          中略
そして厨房機器は、一切合切 田上金物に注文をし、
どうにかこうにかオープンすることが出来ました。

だけど、あれから8年余り経ちますが、
厨房機器の買い増しはすべて田上金物に
おまかせしているしだいです。

そんな、田上金物の社長さんにかんしゃ感謝、

それと補足にもう一つ
まだ、支払いも済ませていないのに、
開店時の開店祝いまで頂き、
今でも足を向けては寝れません。

そこで、田上金物さんを一口で言うと安全・安心・そして信頼
という文字が似合う会社ではないでしょうか?敬称略・・終




第50話「お礼を申し上げます。」

わたしがこの商売を始めて、現在に至るまで、
大変多くの方々にお世話になりました。

そこで、この場を借りて、
そのお世話になった方々へお礼の意味も兼ねて、
ご紹介させて頂きます。

!!!!その節は本当に有難う御座いました。!!!!

注・・・前にも申し上げた通り、個人名に関しましては、
ご本人様のご了承がいただけた方だけとなります。
    又・了承が取れなかった方はイニシャルとしました。

尚、どのようにしてお世話になったかは、後述することとして
    お世話になった方々をご紹介いたしましょう。


熊本日日新聞蒲l・・情報文化センターI江様、K田様、天竺堂様

褐F本放送,RKK様・・ディレクターM原様、H中様、アナウンサーH様

ガラシャ・・・・・・K原様

ウルトラハウス・・編集長Y村様、同小崎様、マルチメディア中川様、同山部様

熊本シティーFM・・プロデュウサー上村様、パーソナリティーM村様、H様

熊本朝日放送梶E・塩田様、タレント藤本一精様

くまもと県民テレビ、ディレクター、M木様、タレントばってんじょうじ様

テレビ熊本・・・・チーフディレクターT田様

そして、最後にこのHPを立ち上げてくださった、GAA様

以上の方には本当にお世話になりました。今後とも宜しくお願いします。




第51話「近日オープン」

悪戦苦闘の末、仕入先他、厨房機器の調達が終、
店舗の方も大方90%出来上がた時点で、
一番こそばゆい思いをしたのが看板があがった時でした。

今まではオープンする事だけを思い、
ひた走ってきたわたしですが?
いざラーメン店の骨格が出来上がってしまえば、
安心からか、うん〜〜ん、俺もラーメン屋を始めるんだぁ〜〜・・・

とっ言う思いが込み上げてきて、なんだか不思議なことに・・
・・今まで、アタッシュケースを持ち、飛び回っていたのが?

今度はオカモチを持って走り回るのかと思うと・・・
少し(はっきり言って)こっぱずかしい思いをしたのを思いだします。




第52話「熊日さんにお世話になる」

店の骨格も、九分九厘出来上がり、
なおかつチラシの方も5000枚用意できた。

しかし、・・はたして店を開店しても、
本当にお客様が来てくれるのだろうか?
それだけがどうしても払拭できない。

どうにかして、この裏通りにある、
うちの店を皆様に伝える、いい手立ては無いものなのか
と思い悩んでいたところ、・・
以前買っておいたラーメンの本が目に飛び込んで来る。

そして、よぉ〜〜く見てみると
熊本日日新聞社から出版されていること判明。

それじゃ〜善は急げと言わんばかりに熊日さんに電話をしてみた。
  続く




第53話「熊本日日新聞社さまへ 電話をス・・!」

「えぇ〜実はわたくし、御社が出版していらっしゃいます、
ラーメンの本を見て電話しているのですが」・・・!
             略

・・本題に入る・・実はですねぇ〜
わたくし、長年、東京にてサラリーマン生活をしていまして、
今から二年ほど前、オーストラリアに渡豪し、
ラーメンの修行をしてきましてこの度、
郷里の熊本で、ラーメン店を開業する事になったのです。

そこで、あつかましいお願いで誠に恐縮なのですが?
もし御社から出版されているラーメンの本が
再び出版されるような事が有りましたならば、
是非、わたくしの店も取材していただきますよう、
お願い申し上げます。・・と、その旨を伝えると、
先方の担当者の方からは
「分かりました、その様な事でしたら別のセクションの者から、
後日、お宅様の方に電話を入れさせますので」
と言う言葉で電話は切れた。
・・そして後日、熊日さんの方から電話が入るのでした。続く



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