シドニーでの最初の修行先「九州」超が付くほど多忙な毎日でしたが、楽しい日々でもありました。

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俺がラーメン屋を始めた訳
第二章〜シドニーラーメン修行 九州編〜
第7話「いよいよシドニーへ」

辞表を書いてから.退職する日までの3ヶ月.色んな部署の人達
と.何度と無く繰り返し行なわれた送別会.そして3ヶ月が過ぎ退職の日
.上司に連れられて各部署への挨拶回り・・・
なごりおしさと.ちょっぴり寂しい気持ちが交差するなか退職

そして.郷里の実家で2日すごし.シドニーへ旅たつ・・・

空の旅
今回は予算の都合でシンガポール経由シドニー行き
これが又最高の旅となった。
シンガポール航空での旅は初めてで・・・これが実にサービス
のいいこと.良いこと

福岡発シンガポール行き・・なんと.なんと美人スチワーデス
ぞろい.こりゃラッキーなどなどと思いつつ座席に座る。

すると.いよいよ離陸だっと言う時スチワーデスがそぉ〜と来
て.お隣の席に座っても宜しいでしょうか?とっ一言
もっ・・勿論(引きつる様な声で)ノープロブロムゥ〜(笑)

そして飛行機は離陸・・生唾ごっくん^^;;
水平飛行に入るまでの3〜40分スチワーデスはずーと隣の席に
その間というものは.私とスチワーデスはしゃべりっ放し・・
その時の会話はすべて英語・・エェ〜エヘン(笑)

まっそんな空の旅もアット言う間に過ぎよようとした頃飛行機
は着陸体制に入り.それから再びスチワーデスは隣の席に座り
6時間の空の旅は終わった。

しかし・・あんな旅だと旅の疲れなんか吹っ飛んじゃうよね

そして・・・飛行機はシドニー国際空港に降りた。つづく



第8話「笑っちゃいそうな出来事」

スチワーデスさんとの人もウラヤム空の旅.もしあの時
ユニホーム姿でなけりゃぁ〜・・などと思いながら??
普通ではなかなか体験することが出来ない空の旅じゃった。
                   The end

シドニーでの初めての失敗^^;;
にっ入るその前に・・何故私がシドニーでラーメン屋の修行
をしたかって言うと・・ラーメン屋の修行だったら日本ででも
出来るのではとお思いになられる方もいらっしる思うので
ちょこっと

・・・実は・・私はずうたいのわりには意外と小心者で(笑)
今まで背広姿で大企業まわりの営業.それが一変して
ラーメン屋の出前持ちからやれっと言われても.
なかなかの抵抗感ある・・それじゃぁ〜誰も知らない.
誰とも会わない.見られないシドニーなら務まると思い
シドニーに決めたのです。

今から思えば・・まだまだ自分を甘やかすだけだったのかも知れません。



第9話「つづき」

それともう一つの理由はシドニーまでやって来たのだからとか
ここまで来たのだから・・それと自分を追い詰める意味もあってここにしました。

そりゃぁ〜ここまで来ておいそれと引き下がる訳には行きませんよねぇ〜!!!
簡単に言うとこんなもんかな

さぁ〜そして話の方を本題に戻すと・・
初めての失敗^^;;あぁ〜あの時はまいったなぁ〜

笑わないでくださいねぇ〜・・実はわたくし在職中にお世話になった皆様へ.
お礼の意味を兼ねた離職のお知らせを手紙にしたためて送ったのであります。

勿論.ポストオフィスに行って.切手も買い.きちんと封筒に
切手も貼りいざ投函・・たしか4〜50通送ったと思う

いやぁ〜やれやれと思っていたところ・・2・3日してから
出したつもりの手紙がぞくぞくと届く^^;;そこで初めて
失敗に気づく・・いやぁ〜あの時は・・日本と同じように

封筒の真ん中に相手先の住所そして右下に自分の住所を書いて
しまったものだから・・そりゃぁ〜帰ってくるはず.たしか
届いたのは2〜3通だったかな??(笑えねぇ〜)

「そこで親父のワンポイントアドバイス^^;;
 豪州では日本と違って下に来る方がお届け先
 上に書いてある方が送り主・・ですから
 あの時自分の住所氏名を裏に書いておけばこの様な間違いは
 防げたはず・・又はTo JAPANと書いておけばなお結構」

まっこんな失敗する奴なんか俺ぐらいでしょうねっ(笑)

次はいよいよ調理場に入るってとこからです。つづく



第10話「立身出世物語」

調理場での仕事に入る前に・・・
私の友人の紹介をしておきましょう。

彼とは.今から30年程前・・・
高校時代に知り合ったのであります。そして.その彼何を志したのか.
高校を中退し和食の道に入る.

そして.その当時有名老舗料亭などを転々としながら修行を
積み重ね最後にはこれまた有名な老舗料理屋で副料理長まで
のしあがった男
その後.シドニーに渡る半年間・・寿司職人の修行の末.渡豪

当時シドニーではまだまだ数少ない日本料理店の料理長経て
史上最年少の日本料理レストランのオーナーとなる(28歳)
だったと記憶している・・ただ28と言う若さでの.店の経営は
すんなり うまくいった訳ではなさそう・・しかし今の生活
ぶりを見ると.みじんも感じさせない・・現在はベンツに乗り

休日ともなるとクルーザーに乗ってフィッシング三昧・・
ただ.ここまでのし上がった男やっぱりなにかしらの魅力を
感じさせる・・ガイ(笑)

その.ナイスガイの名前はMr.米森
お店はジャパニーズレストラン九州・・もっ・・し
シドニーに旅行に行くときは寄ってみて下さい。・・ねぇ〜

ただし.予約が無いと入れません^^;;そんなに忙しい
店なのです。

そんな.友人の下で・・とりあえず半年ほど調理場に入る



第11話「そして・・ついに調理場へ」

ことごとく.戻ってくる手紙を握り締め・・
再び気を取り直して投函^^;;その後は一通も帰ってこなかった。
                (あったりめぇだぁ〜)

そして.いよいよ調理場に入るはいるのです。だけど.米森氏の
心使いからか??はたまた老婆心からか?いきなり行列の
出来るラーメン屋での修行はいささかこく言うもの.

取り合えず九州で少しの間働いてみて.それから.体がなれた頃
TEN・SUNに行くのも遅くは無いのでは・・でっ取り合えず
九州の厨房でお世話になることにした。

しかし.それが・・幸か不幸か(笑)なにしろこの店といえば
シドニーでも1〜2位を争う超繁盛店^^;;

最初は何も出来ないので仕込みと皿洗い・・・
ただ口では仕込みと皿洗いと言うけど・それが半端じゃない
量と数・・洗っても洗っても山のように重なっていく器

このとき初めて.目が回る様な忙しさ・・とっ言う言葉が
有るのだなぁ〜って認識させられた・・ヘニョ

ただ.月日が流れ.だんだん仕事の方も慣れるにしたがって
調理の方も・・板に付きだして来る(笑)!!!

ただ.文字にするとその凄さが伝わってこないが^^;;
そりゃぁ〜凄まじいとしか言いようのない厨房でした。

厨房の話はまだまだ・・つづくよっ ただこの辺でちょっと
シドニーでの生活ぶりもお話します。・・つづく



第12話「シドニーライフ・・T」

あぁ〜〜戻れるならば.あの頃にもどりてぇ〜・・でっ でも

あの頃の生活はっと申しますと.九州でのランチタイムが
終わって.そのあとはお店の2階にある・・・美人三姉妹が経営
ランカンシスターズと言うアスレチッククラブに通い
爽やかな汗を流し.ディナータイムに備える毎日でした。

そして.ディナータイムが終わると.帰宅途中にあるホテル内の
ビャーバーへ直行??

そこでは.私が毎日通うので.いつの間にか顔見知りになる客も
多かった。
特に親しくなったのは(笑)カウンターにいる.女性バァー
テンダー・・なにしろ毎日のように通うので何も言わなくても
私が好きなビールが出てくるって具合。

ここまでお話すると・・
私が本当にのん兵衛のように思われますが.
まさにそのとおりです。
そして.週末ともなると.夜な夜な・・CITYに出没する有様。

CITY・・・キングスクロスと言うと・・東京で言う歌舞伎町
って感じかな??結構物騒な所
しかし.歌舞伎町に慣れ親しんだ・・俺ともなるとそんなことお構いなし・・・
裏通りからは時たま銃声が聞こえる様な街

そんな.こんなでシドニーの夜を満喫していたのでありました
・・・・いやぁ〜〜ね のん兵衛って^^;;

・・ただ.ここには書けない様なとこにも行ってましたけどネ
・・そこんとこは・・ご創造におまかせします。・・つづく



第13話「シドニーライフ・・U」

その当時.九州の仕事は週5日・定休日が日曜日と月曜日の二日
あって.休みの日ともなると友達みんなで近くのビーチに出かけ.バーべキューパーティーをやったり・・(これが一番安上がり)
そして.たまぁ〜にマンリーの近くでダイビング・・これは
日本にいたときからやっていた・・ヨットの方もちょこっと

・・そこで.ちょっと悪いかなって言うエピソードを^^;;

私はバーべキュー用のサザエをよく取りに行ってたのですが
あまり取りすぎるせいか?いつしか立て看板設置してあるでは
ないか。

その立て看板の内容とは・・この付近のビーチで
魚介類取るべからず.取った者にはペナルティーが科せられる
とのおふれ書き.しかもその金額に唖然・・なんと5000$罰金
が科せられるとの事。
オーストラリアと言えば自然保護には.結構うるさいお国柄
・・日本と違って漁業権の問題では無くあくまでも自然との
共生ちゅところかな??それからは私も取るのをやめた。

だけど.サザエを取ってきて浜で・・サザエのつぼ焼きなんぞ
やる民族って日本人くらいかも・・いやいや日本人だけ??
でしょう。



第14話「シドニーライフ・・V」

ちなみに.私が住んでいた周りの環境は・・と言うとシドニー
CITYから北へ・・(シドニー湾に架かるハーバーブリッジを渡り)車で約5分位のところ.周囲には・・ブッシュもあり
家の前にはテニスコートとゴルフ場.そして近所には夜12時迄
やっているスーパーマーケットと1時まで営業している^^;
ビヤバー・・すなわち何の不満も無いような環境でした。

そして.次は^^;;正真正銘地獄の厨房です。お楽しみに



第15話「チューボーですヨ!!」

地獄絵図(笑)でも見ているような超繁盛店・ジャパレス九州

シドニーライフを見る限りでは.とても良いことばかりの生活のように思えるが??

これが.一端厨房の話となると・・どう表現してよいやら・・
ほとほと困り果ててしまう。しかし.試行錯誤のうえたどり着いた答えが・・・
文字にしてあの光景をお伝えすること自体無理な話。

ただ.一言で表現しろって言われるならば.凄まじいとか??
まるで.戦場の様なって言葉があてはまるお店。

とうの.ご本人であるMr米森自信も・・うちの店は気ちがい
だって言うほどの.繁盛店・・まっここまでお話すれば
ある程度のさっしはつくと思いますが。??まだまだつづく



第16話「お世話した人された人」

九州での超ハードな仕事の話は.また後でお話しするとして。

私を2年間支えてくれた方々にお礼の意味も込めて.
その方たちをご紹介いたしましょう。

まずは.お世話した人・・編
お世話した人と言えば・・・小熊女子
この女の子は同じ九州で働く同僚・・
その彼女が結婚することになり.披露宴の司会者をやって欲しいとの事。
・・そこで私はこころよく引き受けたのでありました。・・・

しかし何故私が.司会者役を引き受けたかと申しますと(笑)

実は.サラリーマン時代 (前の会社)に従業員会と言うのが
あってそこの副会長を経験した事もあり・・人前で話したり・司会進行役などちょくちょくやっていたものですから心よく引き受けたのです。

それと.もう一つの訳と言うのは.

彼女の実家と私が日本にいた時に住んでいた場所が・・
あまりにも近すぎて・・なにしろ100mと離れてはいなかったので
他人事とは思えず引き受けたのです。
だけど偶然と言うのは有るものなんですねぇ〜
・・本当に世間って狭いものだ
           で次はウエディングセレモニーです。



第17話「ウエディングセレモニー」

偶然とは言え・・そんな近くに住んでいた女の子が同じ九州
で働いていたとは??

だけど.シドニーの結婚式は.日本と比べものにならないくらい
安い・・それにゴージャス!!

その内容とは.いかに??
まず.午前9時くらいに・・純白のリボンで飾られた真っ白な
ロールスロイスが自宅前まで新郎.新婦をお出迎え.それから
街の教会で・・身内だけでの結婚式が執り行われる.そして

その次に向かうのがオペラハウス・・・ここで記念撮影をした
のち.車はMrsマッコウリチェアーここでも.オペラハウスを
バックに記念撮影.その後再び車はオペラハウスに戻り・・

船着場より船に乗って・・
(船は一艘貸切・・日本の屋形船とは違いますからあしからず・・笑)
洋上披露宴となる。

新郎新婦の紹介に始まり一通りの挨拶が終わり
船内では.豪華食事とカラオケで盛り上がり.
船は外洋へと出て行く・・・頃合いみたところで.甲板に出て・・また記念撮影

そして.船内に戻り・・唄にダンス??楽しい宴も終わりに
近づいた頃.ご両家の挨拶となる・・・

司会大成功
その彼女・・中国人との結婚を親の猛反対を押し切って一緒に
なったものですから・・その時出席されたのは.彼女の母親と
身内の数名だけ(お父様の方は出席されなかった)そんな訳で・・

わたしは.船の中で彼女のお母様に是非ご挨拶をして欲しいお願いしてましたが・・色よい返事はもらうことが出来なかった

しかし.宴も最高潮に達した・・その時.彼女のお母さんが
涙ながらに席を立ち挨拶を始められるではないですか・・・

このふつつかな娘では御座いますが.皆様末永く見つめてやって欲しいと・・・そして5分程のスピーチも終わり私に一礼

んん〜〜なんとも言えない最高の結婚式であった・・だけど
これで3000$だっちゅうから本当に驚きですよね・いやいや
日本の物価が高すぎるぅ〜〜ベリーエキシペンシブゥ〜〜

でっ私も末永くお幸せにと言う気持ちで・・その場を後に
したのでした??



第18話「お世話になった人」

かたくなに挨拶を拒み続けられたお母様が最後に.涙を流しながら.
挨拶してくださったのを見て.司会者みょうりにつきる一瞬であった。

しかし.40名程のこじんまりとした披露宴とは言え.今までで
一番印象に残る結婚式であったのではないだろうか。おわり

お世話になった人
私がシドニーに住み始めた頃.先にものべた・・
CITYのキングスクロスなどにつれていってもらったり・・
ホームパーティーなどに招いてもらったりしたお二人をご紹介しましょう。

その方とは・・中島マキオさんと田端さん・通称タバッちゃん

マキオさんと言うと.九州オーナー米森氏の義理の弟で・後に
日本食レストランのオーナーになられた方 それともう一人は
タバッちゃん・・今では米森氏の右腕となって店の全般をまかされている人=まっ専務ちゅうとこかな
(それにしても二人とも偉くなったもんだ)

とっそんな偉くなった二人と夜な夜な訪れるところがホテルの
ビアバー・・そこでつもり積もったストレスを二人に癒してもらっていたのです。(ようはうっぷん晴らしに付き合ってもらっていたのです)・・・きょうはこの辺で^^;;

次回は移り住んで間もない時のお話です。



第19話「シドニーに移り住んだ頃は」

シドニーに移り住んだ頃は.右も左も分からず.どこに行くにも
徒歩・・・トホホ  そのようなトホホの生活も幾分か慣れてきた頃.やっぱし男
シドニーの夜の街を案内してくれたのがタバッちゃん

今や三人も子供をもうけ自宅も購入し優雅な生活をおくっている。
マキオさんにいたってはジャパニーズレストラン中島のオーナーで・・一国一城の主・・

そお言う二人には.仕事のことで相談にのってもらったり
休みの日には.一緒にめしを喰いに行ったり ホームパーティーに招いてもらったりで・・大変お世話になった

もし.あの二人がいなかったならば 九州での重圧感に押し潰されていたかもしれなかった。

そう言う二人にかんしゃ感謝〜〜



第20話「つづき」

体に変調の予感??^^;;

二人のお陰で ストレス発散の場は有ったものの九州での
重圧感は依然として変わることはなかった・・そこで一抹の不安がよぎる。

もし.このまま日本に帰るならば・・??安堵感からくる!!

気がゆるんで何らかの病気を誘発するのではないかと予感する

そして.半年が過ぎ一端帰国することとなる。
帰国も来た時と同じシンガポール航空・・だけどその時は
来た時の様にスチワーデスが隣の席に座ることはなかった
(あったりめぇ〜だぁ〜そんなうまくいくかぁ〜〜)笑

そして.無事帰国はしたものの・・つづく



第21話「悪夢の顔面麻痺」

帰国後のこと・・本当はあまり他人に話せるようなことではないが.
実際に起きたことなので話しておこうと思う。

帰国翌日の出来事
私はいつものように洗面所へ行き
洗面台の鏡にうつる我を見て唖然となった.
なんだこの顔は俺じゃない??
そのとき初めて自分が顔面麻痺に侵されていることに気づく.
そしてほとほと困り果てたあげく・・
近くの病院へ行って診察を受け先生に聞いてみた・・
何故こんなことになってしまったかを??

そしたら先生いわく・・急激な環境の変化が起こったり
過度のストレスなどが続いたりした時に.この様な症状が
現れたりするのだとか??

だけど・・しかし先生どうにか早く治らないものですか??
と尋ねても先生は笑いながら治りますよ。の一言・・・

じっ実は私明日シドニーへ戻らなければならないのですけど
っと言うと.それじゃ〜注射とビタミン剤を処方しときます
との事

そして.私は顔半分が麻痺したまま病院を後にしたのです。

だけど.悪い方にであるが私が予想したのが
見事的中してしまった一こまであった。




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